第9話 日向と日陰 


「・・・直也さん。」
甘く優しい声が、耳元で響いた。
「ん・・・。」
うっすらと開ける目には、由梨がぼんやりと映った。
「朝ご飯、どうしますか?」
「ん・・・。食べる・・・よ。今、何時?」
「もう9時過ぎですよ。仕事休みになったら、起きれなくなりましたか?」
由梨がカーテンを開け、暗いこの部屋に光が射し込んだ。
今日も天気がいいみたいだ。
飛び込む光が、ゆっくりと俺の体を起こした。
「じゃあ、待ってますね。」
そー言って、今は1階で寝ているこの部屋から出て行った。


・・・そう。俺は助かったんだ。
あの日、次に目が覚めた時は病院のベットの上だった。
小さな火傷が数箇所、大きな火傷が左肩に一つ。それから右足が骨折。
大きな火傷と言っても、そこまで目立つものではなかった。
考えてみれば、あの火事からもう1週間が経った。
今でも夢を見ていたような気がするけど、この肩の火傷がリアルだということを 痛感させてくれる。
始めは、ただ痛いだけの厄介なものだったが、もう開き直ると、勲章のような気 さえする。
自分で考えてるより、ずっと楽観主義なのかもしれない。
「さて・・・。」
右手で松葉杖を拾い、ぐっと力を入れて立ち上がった。
もう随分慣れたけど、まだ痛い。
そのまま、ゆっくりと居間へと歩いた。


「ごめんな。遅くなっちゃったよ。」
イスに座って本を読んでいた由梨が、こちらへ視線を上げた。
「しょうがないですよ。足の怪我があるから、思ったように動けないでしょ?」
そう言いながら立ち上がって、二つの茶碗にご飯を入れた。
俺はゆっくりとイスに座った。
すべて由梨にまかせている自分が情けなくなる反面、誰かに甘える今の状況も、 ちょっと楽しんでいた。
「さ、どうぞ。」
由梨から茶碗を受け取った。
「ごめんな、いろいろと迷惑かけて。」
「そんなぁ。直也さんは、命の恩人ですから。これくらいしないとバチ当たりますよ。」
おかずに手を伸ばしていた手を戻し、笑顔を見せてくれた。
「でも、ホント良く生きてたよ、俺。」
「助けてくれたのは、・・・えっと、田中さん、でしたっけ?」
「そう。同じ郵便局員のね。」
そう、驚きだったのは、助けてくれたのは、あの日郵便局で寝ていた田中さんだったのだ。
病院で聞いたけど、なんとレスキュー隊員でもあったそうな。
まぁ、あの日は郵便局開けっ放しで走ってきたらしいから、田中さんらしいと言えば、田中 さんらしい。
本人曰く、落ちてくる柱を片手で止め、もう片方の手で俺を担いで助けてくれたとか。
どこまで本当かは分からないけど、助けてもらったのは事実。
ありがと、って言ったら、
『緊急の時に寝てた俺が悪いだけだから。』と謙遜していた。
触れた田中さんの手が、とても力強く、所々に火傷の跡があったのが、とても印象的だった。


「ふふ。何か考え事ですか?冷めちゃいますよ?」
「あ、ゴメン。ボーっとしてた。」
慌てておかずを一つとり、すぐさま口に放りこんだ。
「何を考えてたんですか?」
「ん?あの火事の時のことを・・・ね。」
「そういえば、・・・傷が残っちゃいますよね?」
由梨は、俺の左肩へと視線をぶつけた。
「平気だよ。どうせ男だから、傷の一つや二つ。それに、ある意味勲章なんだしね。」
左肩をポンポンと叩いた。
・・・ちょっと痛かった。後で後悔。
「直也さんらしいセリフですね。」
「え?そうかなぁ。」
軽く笑い合って、由梨は食べ終わった茶碗に、箸を置いた。
「私も、良く助かったって・・・思いますよ。」
由梨は、俺の顔を軽く覗き込んだ。
「私、和子さんの大切な物、守れたのが嬉しかった。でも、本当は少し諦めそうでした。 だけど、直也さんは私に、大切な事教えてくれました。私を助けてくれました。だから、 今度は私の番だって・・・。だけど、最後には本当に恐くなって、意識が途切れて。 倒れた私が見たのは、ぼんやりと浮かぶ直也さんの顔でした。いつもの優しい笑顔。 だからね・・・、私、信じてました。直也さんの事。」
最後に微笑む彼女。
俺も由梨を失いなくなかったんだよ。
言いかけたその気持ちは、最後まで言葉にはしなかった。
恥ずかしかったから。
だから、俺は何も言わずにそっと、微笑み返した。


ごめんね。
もう俺は、一人の女としか見れなくなっちゃったんだ。
あの火事の時に気づいてしまったから。
本当の気持ち。
随分と昔に閉ざしていた感情を・・・。



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