第10話 ベースカラーを求めて 


「ん・・・。」
真夜中の暗闇の中、冷たく流れる感情が溢れた。
・・・俺、泣いてるのか。
何か夢を見た。とても幸せそうな夢。
はっきりとは思い出せないけど、随分と昔のなつかしい夢。
もう、幸せな事ですら悲しくなっちゃったのかな。
涙を袖で拭いた。
「なんか飲んで気持ちを落ち着けよう。」
杖を拾い、立ち上がった。


あれ?
廊下に出ると、キッチンから光が漏れていた。
「誰かいるの?」
覗き込むと、こちらに背中を向けた由梨が、何かを作っていた。
「あれ?まだ起きてたの?」
「わわっ!」
凄いびっくりしていた。
「脅かさないでくださいよぉ。」
「ごめんごめん。何かしてたの?」
「あはは。クッキー作ってました。」
ボールに生地が入っていて、もう何個も型にしたクッキーの原型もあった。
「直也さんはどうしたんですか?」
「ん?ちょっと目が冴えちゃって。」
「嫌な夢でも見ましたか?」
由梨が、自分の目の辺りを指さした。
・・・あ、目が赤かったのかな。
「うん。まぁ・・・ちょっとね。」
「そうですか。・・・あ、ちょっと待ってくださいね。」
由梨はオーブンの蓋を開けた。
ふわぁっと広がる甘い匂い。
「せっかく焼いたので、どうですか?」
促されるままイスに座り、焼きたてのクッキーを手に取った。
「あつつっ!」
「あ、焼きたてなんで気をつけて。」
由梨が、小さなお皿を出してくれたので、その上にクッキーを置いた。
「コーヒーでも飲みますか?」
「いや、眠れなくなるから牛乳にしておくよ。」
「じゃあ私も。」
縦長のガラスのグラスに牛乳が満たされ、目の前で薫るクッキーが食欲をそそった。
でも熱いから、もう少しの辛抱。
「でも何でクッキー作ったの?」
残った生地をタッパーに入れて、型取ったものを、またオーブンに入れていた。
「ん〜。実は私も寝付けなくて、それで本を読むのも飽きたからお菓子作ろうって。」
手を洗いながら、由梨は少し眠たそうな表情を覗かせた。
「眠たい?」
「ん〜ちょっとだけ。作るのも結構疲れるんです。」
俺の向かい側の席に座って、由梨もひとつクッキーを手に取った。
「あ、もう大丈夫みたいですよ?」
「あ、ホント?」
さっき慌てて離したクッキーを、もう一度手に取った。
ホントだ。これくらいなら熱くないな。
「うん、おいしいよ。」
「あはは。焼きたてならおいしいの当たり前ですよ。」
「でも今までも結構作った事あるでしょ?」
「まぁ女ですからね。それなりに。」
「こういうの作ってもらえると、男は凄い喜ぶけどな〜。」
もう一つ口に放りこんだ。
「直也さんは今嬉しいですか?」
そう言って、彼女はニコニコしていた。
「そ、そりゃあな。」
おどけて笑う彼女。不甲斐なくも、結構動揺した。
「良かった・・・。喜んでもらえて。ちょっとは恩返しできたかな。」
「恩返しなんて・・・。当たり前の事をしただけだから。」
・・・。
「あのさ、由梨。」
声は出さないで、彼女は視線をこちらに移した。
「もし・・・。もし良かったら、俺の過去、聞いてもらえない・・・かな?
全然楽しいものじゃないけど。」
「・・・こんな私で良かったら。」
軽く笑顔を作ってくれる彼女を見て、俺は一つ大きなため息をついた。
「由梨じゃなきゃ頼まないよ。」
俺は牛乳を一口飲んだ。
「・・・直也さん。」
「ん?」
由梨は俺に、一つのクッキーを差し出した。
もらったそれを、そのまま口まで運ぶ。
何故だか、そのクッキーだけは、他の物とは違う、優しい甘さがあった。



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