第8話 祈りの筆筋(きせき)


あれから、私は毎日のように和子さんの家に遊びに行っていた。
直也さんは、同じ郵便局員の清水さんの、長期の休暇の為に毎日のように働いていた。
「俺も、暇があれば行きたいんだけどな。」
私がいろいろな話をする度に、直也さんはいつもそう漏らした。
「清水さんの休暇が終わったら、俺も一緒に行くよ。」
明日には、清水さんが復帰するから、多分明日は一緒に行けるって付け足した。
そう言って、今日も出勤していった。


私は、10時過ぎまで家の掃除や、食器の片付けをやってから、和子さんの家に向かった。
「こんにちはー。また来ちゃいました。」
「いらっしゃい。さ、上がってちょうだい。」
もう二人の動きは "いつも" の手馴れたものだった。
和子さんに勧められるように居間でお茶を飲んで、いろいろな事を話し、最後にアルバムを 1、2冊見て帰る。
これが、いつもの行動だった。


いつも通り居間でお茶を飲んでいたけど、今日はすぐにアルバムを見に、2階へと上がった。
もう直也さん絡みのアルバムは見尽くしたので、最近は和子さんが行った観光地についての 写真を良く見ていた。
「あ、ここはどんな感じだったんですか?」
「ここはね。」
もう何十年も前の事なのに、和子さんの話は、とても細かい所まで想像ができた。
私は目を閉じ、言葉をゆっくりと絵に置き換えていくことが、楽しくて楽しくてしかたなかった。


「・・・あれ?」
想像していたビジョンが現実に戻ってきた。
「和子さん。変な匂いしませんか?」
アルバムの匂いや、ちょっと湿気の含んだ木の匂いとは違った。
・・・嫌な・・・予感がした。
「和子さん、ちょっと待っててね。」
私は、部屋を出てすぐにある階段を下りた。

「・・・なんで?」
台所の辺りから煙が出ていた。
急いで台所に入ったが、もう火がかなり大きかった。
消火器もなさそうな状況では、私一人でどうにかできる状況じゃなかった。
私は、階段を急いで上って、和子さんに状況を説明した。
「早く家から出ましょう。」
和子さんの腕を軽く引っ張った。
「・・・和子さん?」
和子さんは、私の腕にすがってきた。
「由梨ちゃん・・・こんな事頼んじゃ駄目なんだろうけど・・・。」
和子さんは、アルバムに視線を移した。
「全部外に出すのは・・・。」
いくつもある棚にしきつめられたアルバム。
全部数えたら、きっと500はある。
「全部なんて言わない。だけど・・・だけどあれだけは。」
和子さんが指したのは、直也さん絡みの写真や、和子さんと旦那さんがお気に入りとして いたアルバムが入っている、他の棚より一回り小さなものだった。
それでも、30近くはあるように見えた。
「この部屋から出た所にある窓から、外に投げ出してくれていいから・・・。」
親友は、私にすがりながら泣いていた。

「・・・分かりました。じゃあ、和子さんは先に外に出ててください。」
私は決心した。
大切な人の、大切なものを守る事。
さっきの棚から、アルバムを2冊抱えた。
「重い・・・。私の力じゃ2、3冊持つのが限界・・・。」
とりあえず、窓際近くまで動かして、そこから1冊ずつ外に投げよう。
私は、一度アルバムを置いて、携帯電話を取った。
「直也さん!和子さんの家が火事です!助けてください!」
直也さんの応答が返ってくるより早く、私は携帯を切った。
時間がなかった。


私は本棚から、再び2冊を取り出した。
相当・・・重い。さすがに4冊は・・・。だけど、頑張らないと間に合わないよね。
よろよろとした足取りで、私はなんとか窓際まで辿りついた。
そして、もう一度棚に戻り、もう一度4冊を抱えた。
だけど、次にはもう4冊も持てなかった。
早くしないと!
往復する度に、少しずつ煙が迫ってきたのが分かっていた。
だけど逃げるわけにはいかない。
「ふぅ。これで半分くらい。」
もう腕の感覚なんてなかった。
また棚に戻ってきた時、もう諦めてもいいかな。
ふと心に思った。
だめ!誰にだって大切なものはあるんだから。
和子さんは、これがそれなんだから。だから頑張れ、私。
今は、私しかいないんだから。
私はもう一度覚悟を決めて、再びアルバムを抱えた。



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