第5話 君の過去(いろ)(2ページ目)さっきの感じとまったく違う。 平気になった海風すら、今は邪魔をしてきてるようにしか思えない。 腹が立った。自分に。 それと同時に、由梨の行動に、軽い疑問を感じていた。 だけど、それは自分の言い訳にしかすぎない。 最低だ、俺。 もうすぐ家に着く。 今日はもうすぐ終わる。だけど明日、また、おはようって声がかけられる自信がなかった。 ”それこそ兄妹のように、仲のいい関係であれば、それが1番。” そう思っていたのに・・・。 「・・・直也さん。」 不意にかけられた声は、さながら死神の鎌が首元に当てられたかのように、息をする事さえ できないくらいの緊張感が走った。 止めた足を、無理やり反転させる。 さすがに顔までは見れない。 見てるようで、目線だけは右の方へ外していた。 「・・・さっきは・・・ゴメン!」 何をしていいのか分からなくて、ゴメンを言い切るより前に、頭を下げた。 「直也さんは・・・悪くないんです。・・・その、ちょっと過去を・・・思い出してしま って。」 「それでも、軽率な行動だってことは謝りたいんだ。」 「あれだけはしゃいでいたんですから。・・・普通なら、例え手を握られても、冗談で 済むような・・・そんな程度ですから。・・・だから、謝る必要なんてないんです。」 顔を少しだけ上げた。 由梨はまだ、左手を右手で握っていた。 「私、信じてます、直也さんの事。・・・だけど・・・。」 由梨は、右手を強く握りしめた。 「でも・・・信じたいんです。だけど・・・恐いんです、信じる事。」 目が瞬たく度に、1粒、1粒と涙がこぼれた。 「由梨・・・。」 俺は近づいて、うつむいている由梨の流した涙を、そっと右手で受け止めた。 「頼りないかもしれない。それに、こんな事言うの、凄く自分勝手だって思うけど、俺は 信じたよ。この島で初めて会った君を。もちろん、そんな事と比較できる問題じゃないけど 、それでも、俺は由梨の力になってあげたいって思う。きっと、何もしてやれはしないとは 思うけど・・・それでも、涙を受け止めてあげることはできる、声をかけてあげる事はでき る。そう信じてる。」 右手に落ちてきた1粒の涙を握り締めた。 「今、全部を信じて欲しいなんて言わない。だけど・・・信じてくれないかな。」 うつむいていた由梨の瞳が、真っ直ぐに俺の目を見た。 ずっと・・・ずっと・・・。 時折、瞼に涙が溜まり、それが頬をつたり、握りしめた手に何度も当たった。 「・・・はい・・・信じます・・・直也さん。」 さっきは拒絶してきた由梨の左手が、握りしめていた俺の右手に触れた。 「・・・ありがと。」 握りしめていた右手を、ゆっくりと開いた。 そして、触れてきた左手を、そっと、傷つけないように握った。 『一度、風呂に入って気持ちを落ち着けてみたらどうかな?』 という俺の提案から、今、由梨は風呂に入ってる。 俺は・・・まぁ後でいっか。どうせ明日はバイトは休みだし。 居間に冷たい牛乳をだして、由梨が出てくるのを待った。 ・・・涙を握った右手を開いた。 微かに漂う、由梨の過去。 焼きついて離れない、辛そうな顔。 「直也さん。」 気づいたら、由梨はもう居間に来ていた。 「お風呂・・・どうしますか?」 かなり落ち着いたみたい。ちょっとホッとした。 「後でいいよ。どうせ明日はバイトないから。良かったら牛乳出してきたから飲んで。」 濡れた髪をタオルで拭きながら、ちょうど対面となる所に座った。 「落ち着いた?」 由梨は、黙ったまま、小さく頷いた。 「良かった。」 用意しておいた牛乳を、少し口にした。 ふぅ・・・。 軽くため息をついた。 由梨は、机の上においてあるグラスを、じっと眺めていた。 何があったんだろう・・・。そう思う気持ち7割。 聞かないでそっとしておいてあげよう・・・。3割。 どっちも正しい気がするけど、由梨は『信じる』と言ってくれた以上、聞いてあげるの が筋だった。 「・・・。」 沈黙が続く度、俺は少しずつグラスに手をつけた。 喉に通った時の音も、部屋にある時計の針の音も、いつもの何倍もの大きさで聞こえた。 「・・・。」 ずっとグラスを眺めている由梨へと視線をうつした。 さぁ話してごらん。 そう言って沈黙を破るわけにはいかない。 由梨の時間で。由梨の気持ちの中で。 決意が決まった時に、聞く。そう決めた。 ボーっと視線を彼女にうつしていた時、由梨と視線がぶつかった。 とっさに、俺は視線を逸らした。 「直也さん・・・。」 呼ばれてから、もう一度由梨の顔を見た。 「話します・・・。その・・・昔の事。やっと・・・決心できたような・・・気がしまし た。」 彼女は、さっきまで眺めていたグラスを手に取って、一口、流し込んだ。 「うん。聞くよ。」 軽く頷いて、彼女はグラスを両手で握った。 「私・・・。高校の頃に強姦に遭いました・・・。と言っても、途中で助けてもらった から、最悪な過去を着せられる事はなかったんですけど・・・。でも、私は・・・恐いん です、男の人が・・・夜が・・・。たまに、泣きたくなるくらい、悲しい日があります。 そんな日が続くと、それこそ死んでしまいたく・・・なります。」 由梨は、また泣いていた。 「初めに、私通信制の大学生って言いました・・・よね?あれ・・・嘘です。高校も中退 しました。大学なんて行ってません。ただ・・・親に甘えて生きて・・・ほとんど部屋の 外に出たくなくて・・・。」 両手で握っていたグラスを口にした。 ため息一つ。ゆっくりとついた由梨が、改めてこっちを向いた。 「ごめんなさい・・・。嘘ついて。それと、さっきの事も。」 俺は首を軽く横に振った。 「正直に話してくれたから、嘘なんて気にしないよ。君が大学生であろうがなかろうが、 俺は君を信じていただろうし。それに、そんな事があったなら、あの行動もしかたない と思うよ。」 俺も、由梨と同じようにグラスに口をつけた。 「ごめんな、こっちこそ。やっぱり、話聞いても、何もしてあげられそうにないよ。」 由梨は、小さく否定した。 「聞いてくれたじゃないですか。・・・それに、信じてくれたじゃないですか・・・。 それだけで十分です。」 お互い、またグラスに視線を落とした。 今度の沈黙は、さっきまでの重たいそれとは大きく違っていて、とても穏やかな、逆に 時が進んでいるのかさえ分からないほど、ゆっくりとした時間だった。 俺は、幾度となく、グラスと由梨とを交互に見ていた。 どうしても・・・聞いてみたいことがある・・・。 「直也さん。」 「ん?」 「なんで、私は直也さんとは平気なのか、気になってたんじゃないですか?」 「あ。うん。凄く。なんでかなーって。」 「やっぱり、そう思いますよね・・・。実は私も分からないんです、なんでか。だけど 、直也さんの雰囲気はどこか落ち着いていて・・・。何も知らなくても暖めてくれそう な、そんな気がしました。・・・でも、今考えると、似てるんです。」 「似て・・・る?」 「私をあの時助けてくれた人に・・・。顔とかは全然違うんですけど、雰囲気とか・・ ・。優しい感じとかは、そっくりです。」 由梨は、もう泣いていなかった。 今、泣きそうになったのは俺の方。 もし彼女の立場で、俺を信じて生きよう、とは、きっと思えない。 それなのに信じてくれて・・・。 嬉しくて、熱いものが目に溜まって、今にも泣いてしまいそうで。 ぐっと我慢した。由梨を部屋に送るまで・・・。 |